mysterious gifted lab

東大阪市 あなたの既に持っている神秘的能力開発 https://suzukikatsunari.com

シンデレラストーリーには程遠かった臨死体験をする事になった、その業とは

あなたの人生の主人公は、あなた自身なのです

 

序章

交通事故で死にかけて、仮死状態のまま処置室で
見舞いに来ている友人・知人・仲間をが、横たわる私を見て、
「この状態での生還は正直厳しいのでは、、、」
と話している場面を上から眺めている自分

 

この、私自身の物語を書き連ねるには、
いくつかのストーリーを外しては書けないので、
その前提から書いていきますので、しばしお付き合いを

 

金プラ・ブランド店の経営をしていた中、
全国に店舗があり愛媛県松山市の営業所の閉鎖が決定し、
それを営業所へと通達に行き、
広島の営業所に寄り大阪への帰り途中の事故でした。

 

事故勃発

松山営業所では、いきなりの営業所閉鎖報告で、
様々な恨み辛みも受け、私としてはできる限りの措置として、
次の就職先の紹介(同列の知り合い会社)、
雇用保険も有利になるように会社都合の書類作成や、
従業員が有利になる対策を取りましたが、
感謝もされ、恨みもされ、その流れでの帰路の途中での
高速道路事故でした。(因果応報なのかもしれません)

 

事故直後、あまり記憶が定かではないのですが、
自ら会社に連絡し、引継ぎや必要な事、
自分が今後しばらく連絡は取れなくなる事を
事務員さんや仲間に伝えていましたが、電話の最後の方は、
ゆっくりと世界が閉じていく感覚を味わいました。

 

そんな中、子どものことで連絡を学園に取っても
時間が昼間過ぎで繋がらなく心残りだったことが
私と、この世を繋げる最後の生命線だったのだと思います

 

子どもと私を繋げた最後の生命線

私と前妻は離婚しており、前妻が子どもを1年間以上
学校に通わせていなかった事が発覚、
そして娘が国に保護された事を知り、親権が私になれば、
施設から引き取れる可能性があると弁護士さんに
アドバイスをいただき、その結果いろいろありましたが、
よい方へ進み、娘に手紙を毎週書き、
すぐに面会が許されるようになり、親権が私に移り、
娘の外泊が許されて、その初めての外泊が
目前だった時の事故でした。

 

臨死体験

あの世の手前までいき、「一を取るか全を取るか」
みたいな設問に対する回答を求められ、
この世の仕組み、理、心理、悟り、色々な情報が私の中に流れ込み
娘の為に閻魔様にまで逆らい戻ってこれたと記憶しています。

 

この体験をどう表現すればよいのか、
未だに表現方法は見つかっていません。
そのあとに、友人から進められていた
鋼の錬金術師を視聴すると、よく似た世界観が
表現されていたので、作者は臨死経験があるのかと思いました。

 

生還(恥ずかしながら帰ってまいりました)

病室で意識が戻ると、肋骨骨折で声もまともに出ない中
真っ先に、「娘に連絡を」と言っていたようです。
娘も、毎日夜に学園に連絡をしていた中で、
いきなり連絡がなくなったなったことに
先生共々、不安を感じていたようで、私の事情を知り、
安心してくれたようでした。

 

そんな中で
友人・仲間は、お見舞いがてらにナース室の受付のところに
同性愛のゲイ(ホモ)雑誌を数冊置いていき、
雑誌にはご丁寧にテプラで私の名前を
シール作成し貼り付けてあったので
看護師さんがゲイ雑誌を片手に
「名前入りのこの雑誌、これは鈴木さんの本ですか?」
と尋ねられ、ゲイに間違われ、笑われる事件もありました

 

雑誌タイトルは男同士が抱き合う「私の板前さん」でした。
(私は友人にニューハーフ、レズビアン、同性愛者もいるので
否定的ではなく肯定的ですが、私が同性愛者ではありません)

 

病院の先生には、まだまだ絶対安静で、
お腹も真っ二つに開かれている状態
身体には機械も取り付けられている中で、
退院時期を訪ねると、
「頭は大丈夫か」ともいわれてしまいました

 

ですが、腹部の縫合箇所から身も血も滲んでいて、
機械も付けられた状態で3週間も経たずに退院させていただき、
娘との外泊までこぎつけました。
その節は関〇労災病院の先生方には、
大変ご迷惑をおかけしました。

 

さらに重なるmysterious gifted(神秘的能力)

手術の輸血に使われた血液のリーディングは
完全ではないですが、かなりの博愛主義者だったと
感じられます。
後に段々とその血液が私の身体に馴染むほどに
身体も精神も変化していく事になるなるので。
(この話は、別の機会に)

 

前妻の死

それから、外泊を数回重ね娘を引き取れるようになりました
前妻は、私が娘を引き取る1か月前くらいから病状がひどく
入院しておりましたが、私が娘を施設から取り戻せて

1週間も経たない期間に亡くなりました。

 

前妻の最後のメールの文章は、病状の苦しみから
文章になっていない内容でした。
前妻の親から、子どもと会せてあげて欲しいと言われていたので
もちろん、会わせてもいましたし、
見舞いにも行っていた中での死去でした。

 

娘との絆

小学生で施設に入り、運動会には私がサンドイッチを作って
応援に行ったり、外出許可で一緒に買い物に行って、
施設に送る時には泣きながら
「帰りたくない、一緒にいたい」
と言われ娘と一緒に泣いてしまった事もありました。

 

弁護士さんの助けもあり、本来なら18歳まで国の保護だったのを
短い小学生の間に引き取ることができ、
一緒に生活できるようになりました

 

娘が中学生の時には「命のつながり」(バトン)という題で
私との物語を、作文として書くと、
市から表彰までされました。

 

そんな娘も先月で18歳になりました。
本来なら、この歳まで一緒に暮らすことは
出来なかった年齢です。
もちろん一緒にお祝いしました

 

私からあなたへ

ここまで、読み進めて下さったあなたに
感謝の意を込めて

 

人にはそれぞれ物語がありあります

 

他人の人生は、その人が主人公の物語を生きているのです
その事を理解し尊重する事は大切です。

 

ですが
あなたが主人公でないあなたの人生なんて自ら描かないで下さい

 

過去も現在もこれからも
✨「あなたの人生の主人公は、あなた自身なのです」✨